1世紀の世界(A.D1-100)

中国

前漢
後漢
 後漢(16名)
 漢(盧芳)(17名)
 石鮪(1名)
 劉興(1名)

州胡國

奴國

薁鞬日逐王(いくけんじつすいおう)

説明

 (?ー?)匈奴の王。名は比。

関連地図

官職・領地

 高柳縣(?ー34年)

参考史料・文献

後漢書』巻一下光武帝劉秀紀第一下

 匈奴薁鞬日逐王比遣使詣漁陽請和親,使中郎將李茂報命。

郭涼(Guō Liáng)

説明

 (?ー?)【後漢】の武将。字は公文。【右北平郡】の人。【兵曹掾】、【廣武侯】、【鴈門太守】。身長は8尺、勇猛な武将であり、かつ経書に通じ知略もあったため北方で名を知られていた*1。はじめは【彭寵】との戦いに功があり、後に鴈門太守となると【盧芳】の勢力下にあった同郡を平定した。

年譜

 ●【幽州】牧の【朱浮】に兵曹掾として招かれ、彭寵との戦いに功があったため廣武侯に封じられた*2

 ●33年(建武9年)8月、【杜茂】と共に鴈門郡繁畤縣に拠る盧芳勢の【尹由】を攻めるが【賈覽】率いる【匈奴】兵の救援もあり敗れた*3

 ●36年(建武12年)9月、鴈門郡平城縣の【賈丹】、【霍匡】、【解勝】の3名が尹由を殺害して降ってくると、彼らを侯に封じ*4、また同郡内の豪右である【郇氏】の配下を殺害し弱体化させ鎮圧し、その後一ヶ月で鴈門郡を平定した*5

 ●子は【中郎】、左右の【宿衞】として【光武帝】に引き抜かれた*6

*1:

後漢書』巻二十二朱景王杜馬劉傅堅馬列傳第十二

 涼字公文,右北平人也。身長八尺,氣力壯猛,雖武將,然通經書,多智略,尤曉邊事,有名北方。

*2:

後漢書』巻二十二朱景王杜馬劉傅堅馬列傳第十二

 初,幽州牧朱浮辟為兵曹掾,擊彭寵有功,封廣武侯。

*3:

後漢書』巻二十二朱景王杜馬劉傅堅馬列傳第十二

 九年,與鴈門太守郭涼擊盧芳將尹由於繁畤,芳將賈覽率胡騎萬餘救之,茂戰,軍敗,引入樓煩城。

*4:

後漢書』巻二十二朱景王杜馬劉傅堅馬列傳第十二

 丹等聞芳敗,遂共殺由詣郭涼;涼上狀,皆封為列侯,詔送委輸金帛賜茂、涼軍吏及平城降民。

*5:

後漢書』巻二十二朱景王杜馬劉傅堅馬列傳第十二

 自是盧芳城邑稍稍來降,涼誅其豪右郇氏之屬,鎮撫羸弱,旬月閒鴈門且平,芳遂亡入匈奴

*6:

後漢書』巻二十二朱景王杜馬劉傅堅馬列傳第十二

 帝擢涼子為中郎,宿衞左右。

杜元(Dù Yuán)

説明

 (?ー?)後漢の武将。父は【杜茂】。70年(永平13年)、【東平王】の謀反に連座して、死一等を減じられ、国外退去となった*1

*1:

後漢書』巻二十二朱景王杜馬劉傅堅馬列傳第十二

 子元嗣,永平十四年,坐與東平王等謀反,減死一等,國除。

杜茂(Dù Mào)

説明

 (?ー43年)後漢の武将。字は諸公。南陽郡冠軍縣の人*1。子は【杜元】。雲台二十八将の第20位。

 23年(更始元年)、河北にいた【劉秀】に寄り中堅將軍となる。以降、劉秀の家臣として戦いに従った*2

 25年(建武元年)に劉秀が即位すると、7月壬午、大將軍に任命され樂鄉侯に封じられる*3。また真定縣で五校賊を討ち、廣平縣を降した*4。翌26年(建武2年)には苦陘侯に封じられ*5、春には【王梁】、【朱祐】、【賈復】、【堅鐔】、【王霸】、【劉隆】、【馬武】、【陰識】と共に鄴郡東部の漳水上において檀鄉軍を破り10万余人を降伏させた*6。続いて【王梁】と共に魏郡、清河郡、東郡で五校賊を討ち【杜猛】、【董敦】ら持節大將30人を降し、三郡に平穏を取り戻し、交通網を回復させた*7

 27年(建武3年)1月甲子、持節を授かり驃騎大將軍に任命される*8。沛郡の芒縣を降し*9、【寇恂】の盗賊討伐に将兵を遣わし救援した*10。また、【陳俊】と共に廣樂縣の【蘇茂】を包囲し*11、西からの【佼彊】の侵攻を迎え撃つ等*12

 28年(建武4年)、王梁と共に佼彊・蘇茂と戦い大梁と齧桑縣を降した*13

 29年(建武5年)春、馬武と共に西防縣の佼彊を数ヶ月かけて降した*14

 31年(建武7年)、詔を受け、兵を率いて晉陽縣、廣武縣に屯田し、外夷の侵攻に備えた*15

 33年(建武9年)8月、王覇や【郭涼】と共に繁畤縣の【尹由】を攻めるが救援に来た【賈覽】と戦い破れ樓煩城に引いた*16

 翌34年(建武10年)、王覇と合流して再度崞縣、繁畤縣の尹由を攻めるが倒せなかった*17

 36年(建武12年)、刑を軽減された受刑者を率い北辺に駐屯し亭を築き、烽燧を補修した。また、屯田を建て驢車の往来を増やし、金帛繒絮を輸送し兵士や領民に下賜した*18

 37年(建武13年)、食邑が加増され、脩侯に封じられた。また、王覇と共に刑を軽減された受刑者飛狐道から平城縣までの防壁と亭を築いた*19

 39年(建武15年)、軍の俸給や絹を廃止し、軍吏に人を殺させた罪で驃騎大將軍を免官となる。また、食邑を減らされ、參蘧鄉侯に封じられる*20

 43年(建武19年)、逝去した*21

*1:

後漢書』巻二十二朱景王杜馬劉傅堅馬列傳第十二

 杜茂字諸公,南陽冠軍人也。

*2:

後漢書』巻二十二朱景王杜馬劉傅堅馬列傳第十二

 初歸光武於河北,為中堅將軍,常從征伐。

*3:

後漢書』巻一上光武帝劉秀紀第一上

 壬午,以大將軍吳漢為大司馬,偏將軍景丹為驃騎大將軍,大將軍耿弇為建威大將軍,偏將軍蓋延為虎牙大將軍,偏將軍朱祐為建義大將軍, 中堅將軍杜茂為大將軍。

後漢書』巻二十二朱景王杜馬劉傅堅馬列傳第十二

 世祖即位,拜大將軍,封樂鄉侯。

*4:

後漢書』巻二十二朱景王杜馬劉傅堅馬列傳第十二

 北擊五校於真定,進降廣平。

*5:

後漢書』巻二十二朱景王杜馬劉傅堅馬列傳第十二

 建武二年,更封苦陘侯。

*6:

後漢書』巻十八吳蓋陳臧列傳第八

 建武二年春,漢率大司空王梁,建義大將軍朱祐,大將軍杜茂 ,執金吾賈復,揚化將軍堅鐔,偏將軍王霸,騎都尉劉隆、馬武、陰識,共擊檀鄉賊於鄴東漳水上,大破之,降者十餘萬人。

*7:

後漢書』巻二十二朱景王杜馬劉傅堅馬列傳第十二

 與中郎將王梁擊五校賊於魏郡、清河、東郡,悉平諸營保,降其持節大將三十餘人,[二]續漢書曰:「降其渠帥大將軍杜猛、持節光祿大夫董敦等。」三郡清靜,道路流通。

*8:

後漢書』巻一上光武帝劉秀紀第一上

 三年春正月甲子,以偏將軍馮異為征西大將軍,杜茂為驃騎大將軍,大司徒鄧禹及馮異與赤眉戰於回溪,禹、異敗績。

*9:

後漢書』巻二十二朱景王杜馬劉傅堅馬列傳第十二

 明年,遣使持節拜茂為驃騎大將軍,擊沛郡,拔芒。

*10:

後漢書』巻十六鄧寇列傳第六

 三年,遣使者即拜為汝南太守,又使驃騎將軍杜茂將兵助恂討盜賊。

*11:

後漢書』巻十八吳蓋陳臧列傳第八

 又率驃騎大將軍 杜茂 、彊弩將軍陳俊等,圍蘇茂於廣樂。

*12:

後漢書』巻二十二朱景王杜馬劉傅堅馬列傳第十二

 時西防復反,迎佼彊。

*13:

後漢書』巻二十二朱景王杜馬劉傅堅馬列傳第十二

 進與驃騎大將軍杜茂擊佼彊、蘇茂於楚、沛閒,拔大梁、齧桑,而捕虜將軍馬武、偏將軍王霸亦分道並進,歲餘悉平之。

*14:

後漢書』巻十二王劉張李彭盧列傳第二

 五年,遣驃騎大將軍杜茂攻佼彊於西防,彊與劉紆奔董憲。

後漢書』巻二十二朱景王杜馬劉傅堅馬列傳第十二

 五年春,茂率捕虜將軍馬武進攻西防,數月拔之,彊奔董憲。

*15:

後漢書』巻二十二朱景王杜馬劉傅堅馬列傳第十二

 東方既平,七年,詔茂引兵北屯田晉陽、廣武,以備胡寇。

*16:

後漢書』巻一下光武帝劉秀紀第一下

 驃騎大將軍杜茂與賈覽戰於繁畤,茂軍敗績。

後漢書』巻二十二朱景王杜馬劉傅堅馬列傳第十二

 九年,與鴈門太守郭涼擊盧芳將尹由於繁畤,芳將賈覽率胡騎萬餘救之,茂戰,軍敗,引入樓煩城。

*17:

後漢書』巻二十銚期王霸祭遵列傳第十

 霸及諸將還入鴈門,與驃騎大將軍杜茂 會攻盧芳將尹由於崞、繁畤,不剋。

*18:

後漢書』巻一下光武帝劉秀紀第一下

 遣驃騎大將軍杜茂將眾郡施刑屯北邊,築亭候,修烽燧。

後漢書』巻二十二朱景王杜馬劉傅堅馬列傳第十二

 十二年,遣謁者段忠將眾郡㢮刑配茂,鎮守北邊,因發邊卒築亭候,修烽火,又發委輸金帛繒絮供給軍士,并賜邊民,冠蓋相望。茂亦建屯田,驢車轉運。

*19:

後漢書』巻二十銚期王霸祭遵列傳第十

 詔霸將㢮刑徒六千餘人,與 杜茂治飛狐道,堆石布土,築起亭障,自代至平城三百餘里。

後漢書』巻二十二朱景王杜馬劉傅堅馬列傳第十二

 十三年,增茂邑,更封脩侯。

*20:

後漢書』巻一下光武帝劉秀紀第一下

 是歲,驃騎大將軍杜茂免。

後漢書』巻二十二朱景王杜馬劉傅堅馬列傳第十二

 十五年,坐斷兵馬稟縑,使軍吏殺人,免官,削戶邑,定封參蘧鄉侯。

*21:

後漢書』巻二十二朱景王杜馬劉傅堅馬列傳第十二

 十九年,卒。