1世紀の世界(A.D1-100)

中国 前漢 新 後漢 後漢(16名) 漢(盧芳)(17名) 石鮪(1名) 劉興(1名) 韓 州胡國 倭 奴國

薁鞬日逐王(いくけんじつすいおう)

説明 (?ー?)匈奴の王。名は比。 関連地図 官職・領地 高柳縣(?ー34年) 参考史料・文献 『後漢書』巻一下光武帝劉秀紀第一下 匈奴薁鞬日逐王比遣使詣漁陽請和親,使中郎將李茂報命。

郭涼(Guō Liáng)

説明 (?ー?)【後漢】の武将。字は公文。【右北平郡】の人。【兵曹掾】、【廣武侯】、【鴈門太守】。身長は8尺、勇猛な武将であり、かつ経書に通じ知略もあったため北方で名を知られていた*1。はじめは【彭寵】との戦いに功があり、後に鴈門太守となると【…

杜元(Dù Yuán)

説明 (?ー?)後漢の武将。父は【杜茂】。70年(永平13年)、【東平王】の謀反に連座して、死一等を減じられ、国外退去となった*1。 *1: 『後漢書』巻二十二朱景王杜馬劉傅堅馬列傳第十二 子元嗣,永平十四年,坐與東平王等謀反,減死一等,國除。

杜茂(Dù Mào)

説明 (?ー43年)後漢の武将。字は諸公。南陽郡冠軍縣の人*1。子は【杜元】。雲台二十八将の第20位。 23年(更始元年)、河北にいた【劉秀】に寄り中堅將軍となる。以降、劉秀の家臣として戦いに従った*2。 25年(建武元年)に劉秀が即位すると、7月壬午、大將軍…

盧芳(Lú Fāng)

説明 (?ー?)字は君期。安定郡三水縣の人で左谷に住んでいた。兄は【盧禽】、弟は【盧程】。新の時代、人々が漢を思慕しているのを知り安定郡で【武帝】の曾孫の劉文伯と自称していた*1。新朝末期、安定郡以西で匈奴や羌が蜂起するとこれを抑えるため、【王…

盧禽(Lú Qín)

説明 (?ー?)【安定郡】三水縣の人。【盧芳】、【盧程】の兄。25年(更始3年)に【更始帝】が亡くなった後、【單于輿】に招かれた盧芳と共に【匈奴】の地に入った*1。 *1: 『後漢書』巻十二王劉張李彭盧列傳第二 芳與兄禽、弟程俱入匈奴

盧程(Lú Chéng)

説明 (?ー?)【安定郡】三水縣の人。【盧禽】、【盧芳】の弟。25年(更始3年)に【更始帝】が亡くなった後、【單于輿】に招かれた盧芳と共に匈奴の地に入った*1。そこで盧芳が單于輿により漢帝として擁立させられた際に、【中郎將】に任じられた*2。 *1: 『後…

李興(Lǐ Xīng)

説明 (?ー31年)【盧芳】勢の武将。五原郡の人。25年(更始3年)に【更始帝】が亡くなり、各地で多くの群雄が挙兵する中、同様に将軍を自称して挙兵した*1。 28年(建武4年)、盧芳擁立を望む【單于輿】と和親し*2、翌29年(建武5年)、單于輿の求めに応じ【閔堪】…

隨昱(Suí Yù)

説明 (?ー?)【盧芳】配下の武将。五原郡の人。弟は【隨憲】。25年(更始3年)に【更始帝】が亡くなり、各地で多くの群雄が挙兵する中、同様に将軍を自称して挙兵した*1が、その後、盧芳の配下となっていた。 36年(建武12年)、盧芳の雲中郡攻略時は九原縣の留…

隨憲(Suí Xiàn)

説明 (?ー?)【盧芳】配下の武将。五原郡の人。兄は【隨昱】。36年(建武12年)、隨昱が【光武帝】に鐫胡侯に封じられた際に、一緒に武進侯に封じられた。*1 *1: 『後漢書』巻十二王劉張李彭盧列傳第二 昱乃隨使者程恂詣闕。拜昱為五原太守,封鐫胡侯,昱弟憲…

閔林(Mǐn Lín)

説明 (?ー?)【盧芳】配下の武将。代郡の人。弟は【閔堪】。40年(建武16年)、匈奴の地から高柳縣に戻った盧芳から【光武帝】への降伏の使者として遣わされる*1。光武帝からは代郡の太傅に任じられたが、翌41年(建武17年)、盧芳が光武帝に叛くとそれに従い数…

閔堪(Mǐn Kān)

説明 (?ー?)【盧芳】配下の武将。代郡の人。兄は【閔林】。25年(更始3年)に【更始帝】が亡くなり、各地で多くの群雄が挙兵する中、同様に将軍を自称して挙兵した*1。 29年(建武5年)、【單于輿】の求めに応じ【李興】と一緒に盧芳を迎え、共に五原郡九原縣…

賈覽(Jiǎ Lǎn)

説明 (?ー?)【盧芳】配下の武将。代郡の高柳縣を守っていた。 30年(建武6年)6月、代郡太守の【劉興】に高柳縣を攻められるが匈奴の騎兵を率いて戦い反対に討ち取った*1。夏頃には匈奴の【薁鞬日逐王】と共に【溤異】と戦ったが敗北した*2。 33年(建武9年)6…

尹由(Yǐn Yóu)

説明 (?ー36年)【盧芳】配下の武将。鴈門郡の崞縣、繁畤縣、平城縣を守っていた。 33年(建武9年)8月、後漢の【杜茂】、【郭涼】らに繁畤縣を攻められるが耐え、救援に来た【賈覽】と共に戦い後漢軍を撃退した*1。また、翌34年(建武10年)に【王覇】が杜茂に…

賈丹(Jiǎ Dān)

説明 (?ー?)【盧芳】配下・【尹由】の武将。鴈門郡平城縣の人*1。 尹由と共に平城縣を守っていたが、36年(建武12年)9月、盧芳の雲中郡攻略の失敗を聞き【霍匡】、【解勝】と共に尹由を裏切り殺害し後漢の【郭涼】に降った。その後、郭涼により列侯に封じら…

霍匡(Huò Kuāng)

説明 (?ー?)【盧芳】配下・【尹由】の武将。鴈門郡の人。 尹由と共に平城縣を守っていたが、36年(建武12年)9月、盧芳の雲中郡攻略の失敗を聞き【賈丹】、【解勝】と共に尹由を裏切り殺害し後漢の【郭涼】に降った。その後郭涼により列侯に封じられたという…

田颯(Tián Sà)

説明 (?ー?)【盧芳】配下、後漢の武将。朔方郡の人。25年(更始3年)に【更始帝】が亡くなり、各地で多くの群雄が挙兵する中、同様に将軍を自称して挙兵した*1。 その後盧芳に従い、29年(建武5年)に盧芳軍の勢力下に入った朔方郡の太守となっていたが、31年(…

橋扈(Qiáo Hù)

説明 (?ー?)【盧芳】配下の武将。名前表記は喬扈とも。 29年(建武5年)に盧芳軍の勢力下に入った雲中郡の太守となっていたが、31年(建武7年)冬、【李興】が盧芳に殺害されたのを見て恐れ【光武帝】に降った。光武帝からはそのまま雲中太守に任じられた*1。 …

程恂(Chéng Xún)

説明 (?ー?)【盧芳】配下・【隨昱】の武将。36年(建武12年)、盧芳を裏切った隨昱に【光武帝】への使者として遣わされた*1。 *1: 『後漢書』巻十二王劉張李彭盧列傳第二 昱乃隨使者程恂詣闕。

郇氏(Xún Shì)

説明 (?ー?)【盧芳】勢の武将。鴈門郡の豪右。36年(建武12年)、【郭涼】に配下を殺害され弱体化して鎮圧された*1。 *1: 『後漢書』巻二十二朱景王杜馬劉傅堅馬列傳第十二 自是盧芳城邑稍稍來降,涼誅其豪右郇氏之屬,鎮撫羸弱,旬月閒鴈門且平,芳遂亡入匈…

石鮪(Shí Wěi)

説明 (?ー?)。【代郡】の人。25年(更始3年)に【更始帝】が亡くなり、各地で多くの群雄が挙兵する中、将軍を自称して挙兵したうちの一人*1。 *1: 『後漢書』巻十二王劉張李彭盧列傳第二 初,五原人李興、隨昱,朔方人田颯,代郡人石鮪、閔堪 ,各起兵自稱將…

劉興(Liú Xīng)

説明 (?ー30年)【代郡太守】。30年(建武6年)6月、同じ代郡内の高柳縣に拠る【盧芳】勢の【賈覽】を攻めるが【匈奴】の騎兵を率いて戦う賈覽の反撃にあい戦死した*1。 *1: 『後漢書』巻一下光武帝劉秀紀第一下 代郡太守劉興擊盧芳將賈覽於高柳,戰歿。 『後…

帥升(すいしょう)

説明 (?ー?)倭の王。倭(日本)で名前の記録が残っている最古の人物。師升と書かれている史料もある。『後漢書』では倭國王、『翰苑』では倭面上國王とある。 107年(永初元年)、生口*1160人を後漢の安帝に献上し謁見を請うた。 奴國や伊都國、末盧國の王とす…

末盧國(まつらこく)

説明 倭にあった国。末盧國の名称は松浦郡の由来とされており、現在の佐賀県唐津市にあったと推定されている。 3世紀の倭を記した「魏志倭人伝」によると一支國*1から海を渡って千里に位置しており、4千余の家があったという。 山や海の境に住み、海に潜って…

伊都國(いとこく)

説明 倭にあった国。通説では現在の福岡県福岡市・糸島市。かつてあった怡土郡の地名は伊都國に由来しており、三雲南小路遺跡、平原遺跡等が伊都國の遺跡として知られている。 3世紀の倭を記した「魏志倭人伝」によると末盧國から東南陸行五百里に位置してお…

州胡國(しゅうここく)

説明 済州島にあった国。身長が低く、頭を髡髪(こんぱつ)*1にした人々が住んでいた。彼らは牛や猪を飼育して暮らしており、動物の革で作られた上衣のみを着ていた*2。 三韓の国々とは船で交易していた。 後の時代の済州島にあった耽羅國と直接的な継続性があ…

奴國(なこく)

説明 倭にあった国。『後漢書』では倭の最南に位置する国と書かれているが、通説では現在の福岡県福岡市・春日市。かつてあった那珂郡の地名は奴國に由来しており、春日市の須玖岡本遺跡は奴國の遺跡とされている。 57年*1、奴國は「大夫*2」を自称する使い…