奴國(なこく)

説明

 倭にあった国。『後漢書』では倭の最南に位置する国と書かれているが、通説では現在の福岡県福岡市・春日市。かつてあった那珂郡の地名は奴國に由来しており、春日市の須玖岡本遺跡は奴國の遺跡とされている。

 57年*1、奴國は「大夫*2」を自称する使いを遣わし、光武帝印綬を賜った。江戸時代にその時の金印が志賀島で発見されたため、その実在性が証明された。

 3世紀の倭を記した「魏志倭人伝」にも奴國の名前が出てくるが、この「奴國」が上記の「奴國」と同一または直接的な継続性があるかははっきりしていない。書によると伊都國から東南百里に位置しており、兕馬觚(じまこ)と呼ばれる長*3、卑奴母離(ひなもり)*4と呼ばれる副長*5が治め、2万余の家があったという。

 また同書では邪馬壹國・卑彌呼の支配に入っていた国々を列挙した箇所にも奴國の名前が見えるが、重複して掲載されているのかそれとも別な国を指しているのかは不明である。列挙された国々には「彌奴國」、「姐奴國」等のように名称に「奴國」の文字が入っている国が多く見られるため文字落ちの可能性も大きく考えられる。

 

地図

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 現在の福岡市の中心地にあった奴國。北は海に面し東西は山に囲まれた土地。

 

参考史料・文献

後漢書』巻一下光武帝紀第一下

 東夷倭奴國王遣使奉獻。

後漢書』卷八十五東夷列傳第七十五

 建武中元二年,倭奴國奉貢朝賀,使人自稱大夫倭國之極南界也。光武賜以印綬

三國志』巻三十魏書三十烏丸鮮卑東夷傳

 東南至奴國百里,官曰兕馬觚,副曰卑奴母離,有二萬餘戶。

 自女王國以北,其戶數道里可得略載,其餘旁國遠絕,不可得詳。次有斯馬國,次有已百支國,次有伊邪國,次有都支國,次有彌奴國,次有好古都國,次有不呼國,次有姐奴國,次有對蘇國,次有蘇奴國,次有呼邑國,次有華奴蘇奴國,次有鬼國,次有為吾國,次有鬼奴國,次有邪馬國,次有躬臣國,次有巴利國,次有支惟國,次有烏奴國,次有奴國,此女王境界所盡。 

梁書』卷五十四列傳第四十八

 從帶方至倭,循海水行,歷韓國,乍東乍南,七千餘里始度一海。海闊千餘里,名瀚海,至一支國。又度一海千餘里,名未盧國。又東南陸行五百里,至伊都國。又東南行百里,至奴國。

『北史』卷九十四列傳第八十二

 計從帶方至倭國,循海水行,歷朝鮮國,乍南乍東,七千餘里,始度一海。又南千餘里,度一海,闊千餘里,名瀚海,至一支國。又度一海千餘里,名末盧國。又東南陸行五百里,至伊都國。又東南百里,至奴國。 

参考ホームページ 

金印 | 福岡市博物館

中央研究院 漢籍電子文獻

*1:建武中元2年

*2:役職名か

*3:官日

*4:ひなもりの語は後に地名として、または辺境を守る場所や人の意で残っている

*5:副日