伊都國(いとこく)

説明

 倭にあった国。通説では現在の福岡県福岡市・糸島市。かつてあった怡土郡の地名は伊都國に由来しており、三雲南小路遺跡、平原遺跡等が伊都國の遺跡として知られている。

 3世紀の倭を記した「魏志倭人伝」によると末盧國から東南陸行五百里に位置しており、爾支(にき)と呼ばれる長*1、泄謨觚(せもこ)、柄渠觚(ひここ)と呼ばれる副長*2が治めていた。王がおり、千余の家があったという。

 邪馬壹國に属し、郡使は常に伊都國に留まった。また、邪馬壹國が自国より北にある諸国を検察するための一大率を設置していた。諸国はそれを刺史のようだと畏れ憚っていたという。

地図

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 高祖山を境に伊都國と奴國が別れていたことがわかる。

参考史料・文献

三國志』巻三十魏書三十烏丸鮮卑東夷傳

 東南陸行五百里,到伊都國,官曰爾支,副曰泄謨觚、柄渠觚。有千餘戶,世有王,皆統屬女王國,郡使往來常所駐。

 自女王國以北,特置一大率,檢察諸國,諸國畏憚之。常治伊都國,於國中有如刺史。

梁書』巻五十四列傳第四十八

 又東南陸行五百里,至伊都國。

『北史』巻九十四列傳第八十二

 又東南陸行五百里,至伊都國。

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中央研究院 漢籍電子文獻

*1:官日

*2:副日