田颯(Tián Sà)

説明

 (?ー?)【盧芳】配下、後漢の武将。朔方郡の人。25年(更始3年)に【更始帝】が亡くなり、各地で多くの群雄が挙兵する中、同様に将軍を自称して挙兵した*1

 その後盧芳に従い、29年(建武5年)に盧芳軍の勢力下に入った朔方郡の太守となっていたが、31年(建武7年)冬、【李興】が盧芳に殺害されたのを見て恐れ【光武帝】に降った。光武帝からはそのまま朔方太守に任じられた*2

 時が経ち、57年(建武中元2年)には隴西郡の長史であったが允吾縣の唐谷で西羌と戦い敗れ戦死した。*3

*1:

後漢書』巻十二王劉張李彭盧列傳第二

 初,五原人李興、隨昱,朔方人田颯,代郡人石鮪、閔堪 ,各起兵自稱將軍。

*2:

後漢書』巻一下光武帝劉秀紀第一下

 冬,盧芳所置朔方太守田颯、雲中太守喬扈各舉郡降。

後漢書』巻十二王劉張李彭盧列傳第二

 芳後以事誅其五原太守 李興兄弟,而其朔方太守田颯、雲中太守橋扈恐懼,叛芳,舉郡降,光武令領職如故。

*3:

後漢書』巻八十七西羌傳第七十七

 遣謁者張鴻領諸郡兵擊之,戰於允吾、唐谷,軍敗,鴻及隴西長史田颯皆沒。