陳訢(Chén Xīn)

説明

 (?ー?)【後漢】の武将。【漁陽太守】。【長史】。【右輔都尉】。出身地、系譜等は不明。主に【匈奴】、【胡】等の遊牧民との戦いに功があった。

年譜

 ●34年(建武10年)、【王覇】、【呉漢】らと共に【盧芳】の将で【代郡】高柳縣の【賈覽】を攻め、王覇と一緒に先鋒を務める。敵方には匈奴の増援もあったがこれを撃退し高柳縣を下した*1

 ●45年(建武21年)4月、【安定郡】で【駮馬少伯】が胡人を率い叛乱を起こし、匈奴と連合して【北地郡】・參䜌縣の青山に集まったが、3千騎を率いこれを鎮圧し、駮馬少伯を【天水郡】・冀縣に移した*2

 ●57年(建武中元2年)11月、【西羌】が【隴右】を攻めてきた際は【馬武】、【王豐】、【竇固】、【烏桓】の兵らと共に【涼州】の各郡でこれを撃破した*3

*1:

後漢書』巻二十銚期王霸祭遵列傳第十

 明年,霸復與吳漢等四將軍六萬人出高柳擊賈覽,詔霸與漁陽太守陳訢將兵為諸軍鋒。匈奴左南將軍將數千騎救覽,霸等連戰於平城下,破之,追出塞,斬首數百級。

*2:

後漢書』巻一下光武帝劉秀紀第一下

 夏四月,安定屬國胡叛,屯聚青山,遣將兵長史陳訢討平之。

後漢書』巻十二王劉張李彭盧列傳第二

 初,安定屬國胡與芳為寇,及芳敗,胡人還鄉里,積苦縣官徭役,其中有駮馬少伯者,素剛壯;二十一年,遂率種人反叛,與匈奴連和,屯聚青山。乃遣將兵長史陳訢,率三千騎擊之,少伯乃降。徙於冀縣。

*3:

後漢書』巻二顯宗孝明帝劉莊紀第二

 冬十一月,遣中郎將竇固監捕虜將軍馬武等二將軍討燒當羌。

後漢書』巻二十二朱景王杜馬劉傅堅馬列傳第十二

 顯宗初,西羌寇隴右,覆軍殺將,朝廷患之,復拜武捕虜將軍,以中郎將王豐副,與監軍使者竇固、右輔都尉陳訢,將烏桓、黎陽營、三輔募士、涼州諸郡羌胡兵及弛刑,合四萬人擊之。