王豐(Wáng Fēng)

説明

 (?ー?)【後漢】の武将。【中郎將】。出身地、系譜等は不明。【光武帝】の即位前からの家臣。【明帝】の時代、【西羌】との戦いで功があった。

年譜

 ●25年(建武元年)1月、【右北平郡】の順水で劉秀が【尤來】、【大搶】、【五幡】との戦いで深入りして危機に陥った際、騎兵であった自分の乗っていた馬を劉秀に授けた*1

 ●57年(建武中元2年)11月、西羌が【隴右】を攻めてきた際は【馬武】、【竇固】、【陳訢】、【烏桓】の兵らと共に副将として【涼州】の各郡でこれを撃破した*2

*1:

 又戰於順水北,乘勝輕進,反為所敗。賊追急,短兵接,光武自投高岸,遇突騎王豐 ,下馬授光武,光武撫其肩而上,顧笑謂耿弇曰:「幾為虜嗤。」弇頻射却賊,得免。

*2:

後漢書』巻二顯宗孝明帝劉莊紀第二

 冬十一月,遣中郎將竇固監捕虜將軍馬武等二將軍討燒當羌。

後漢書』巻二十二朱景王杜馬劉傅堅馬列傳第十二

 顯宗初,西羌寇隴右,覆軍殺將,朝廷患之,復拜武捕虜將軍,以中郎將王豐副,與監軍使者竇固、右輔都尉陳訢,將烏桓、黎陽營、三輔募士、涼州諸郡羌胡兵及弛刑,合四萬人擊之。