隨昱(Suí Yù)

説明

 (?ー?)【盧芳】配下の武将。五原郡の人。弟は【隨憲】。25年(更始3年)に【更始帝】が亡くなり、各地で多くの群雄が挙兵する中、同様に将軍を自称して挙兵した*1が、その後、盧芳の配下となっていた。

 36年(建武12年)、盧芳の雲中郡攻略時は九原縣の留守を守っていた。しかし、盧芳が敗北すると裏切り、投降をするように脅迫をした*2。37年(建武13年)2月、盧芳は輜重を捨て10数騎の兵のみを連れて匈奴に逃れたため、残りの軍をそのまま取り込んだ*3。【程恂】を【光武帝】に使者として遣わし、五原郡の太守に任じられ、鐫胡侯に封じられた。*4

*1:

後漢書』巻十二王劉張李彭盧列傳第二

 初,五原人李興、隨昱,朔方人田颯,代郡人石鮪、閔堪 ,各起兵自稱將軍。

*2:

後漢書』巻十二王劉張李彭盧列傳第二

 十二年,芳與 賈覽共攻雲中,久不下,其將隨昱留守九原,欲脅芳降。

*3:

後漢書』巻十二王劉張李彭盧列傳第二

 芳知羽翼外附,心膂內離,遂棄輜重,與十餘騎亡入匈奴,其眾盡歸 隨昱。

*4:

後漢書』巻十二王劉張李彭盧列傳第二

 昱乃隨使者程恂詣闕。拜昱為五原太守,封鐫胡侯,昱弟憲武進侯。